その鋭い独特の視点と多彩な才能で、小説だけでなく各分野で活躍するアグレッシブな寓話作家の一人である村上龍の作品をとりあげています。
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五分後の世界 (幻冬舎文庫)
村上 龍
幻冬舎 刊
発売日 1997-04
オススメ度:★★★★
主人公を通して日本人の覚醒を訴える作品 2009-08-14
大胆な設定による、もうひとつの未来を描いた作品だ。
世界情勢の設定が大胆である。本書の中で紹介される日本史の教科書に、その設定が詳しく解説されているが、「もし本土決戦を行わず、沖縄を犠牲にしただけで、大日本帝国が降伏していたら、日本人は「無知」なままで、生命を尊重できないまま、何も学べなかったかも知れません。」このフレーズがすべての始まりであり、物語の原動力であることは誰も否定しないだろう。
列強による分割統治、国内で続くゲリラ戦、地下に儲けられたゲリラの国家、先端の科学技術・・・、これらのモチーフは近未来史テーマの作品で扱われているかも知れないが、本書はその世界に突然放り込まれた主人公がいかに自分の立場を受け入れて、覚醒していくかを描いていている点が大きく異なるだろう。この点では「裏・戦国自衛隊」と言えるのではないだろうか。
軍人の行動や兵器の扱い、そして戦闘や死傷者の描写は非常に克明で、映像化は難しいなと思わせるが、これを細かく書き込むことで、主人公の置かれた状況が非常にリアルになっている。
こんな「五分後」、やです。 2009-08-06
小田桐はいつのまにか、自分がもといた世界とはまるで違う「五分後の世界」にワープしてし まったことを知る。何も知らぬままその世界に放り込まれた彼は、その苛酷で劣悪な状況を、 わずかな情報と体力だけを頼りにサヴァイブしていく…
この作品はあるパラレルワールドを描いている。もしあのときああしていなければ、現在の状況 はまるで別の様相を呈していたかもしれない。そういう想像遊びというのは、僕も子どもの頃から 好きではあるが、本書のテーマとなっているのは「日本」である。日本が「あのとき」、ああしていな ければ、どうなっていたか。村上龍はそれを想像する。
ただ小説の中盤、その「あのとき」という分岐点から「五分後の世界」の歩んだ道程が、「国民 学校小学部六年教科書」という形でいっきに読者に提示されるのだが、著者のあとがきでの 語調とは裏腹に、その箇所によってこの作品の小説としての「限界」が露呈したような気がし た。あれは小説ではなくて、単なるシミュレーションだ。
それはさておき、きわめてメッセージ性の強い内容と時期(日本が「金しか出さない」と批判 を浴びた湾岸戦争期)に出版された本作を通して、村上龍はどちらの世界を支持するのか、 僕は結局よく分からなかった。
あの日、日本が降伏していなければ、ひょっとしたらこういう世界になっていたのかもしれない。
では、書いた当の彼自身は「こうならなくてよかったね」なのか「こうだったらよかったのに…」 なのか。そこんところが、よくわからない。
確かに、作中で小田桐は自分がもといた世界、つまり実在する戦後日本を吐き捨てるように批 判し、また反米や、日本の技術主義賛美に読める箇所もある。文芸評論家の斎藤美奈子も村上 がこの作品でアメリカの属国としての日本の屈辱を表現しようとしているみたいなことを書い ていた(『文壇アイドル論 』参照)。
しかし、そうなのだとしても、これを読んだ僕には、地中深くに巣ごもり、国連軍と終わりの 見えない殺戮を繰り広げる「五分後の世界」の側の日本にこそ、すこしも魅力的には感じなか ったのだが。。
と、こんなこと書いたのが蝉の音のうるさい夏の日の某日というのには、別に意味はない。
たまたまです。
さらに詳しい情報はコチラ≫
村上 龍
幻冬舎 刊
発売日 1997-04
オススメ度:★★★★
主人公を通して日本人の覚醒を訴える作品 2009-08-14
大胆な設定による、もうひとつの未来を描いた作品だ。
世界情勢の設定が大胆である。本書の中で紹介される日本史の教科書に、その設定が詳しく解説されているが、「もし本土決戦を行わず、沖縄を犠牲にしただけで、大日本帝国が降伏していたら、日本人は「無知」なままで、生命を尊重できないまま、何も学べなかったかも知れません。」このフレーズがすべての始まりであり、物語の原動力であることは誰も否定しないだろう。
列強による分割統治、国内で続くゲリラ戦、地下に儲けられたゲリラの国家、先端の科学技術・・・、これらのモチーフは近未来史テーマの作品で扱われているかも知れないが、本書はその世界に突然放り込まれた主人公がいかに自分の立場を受け入れて、覚醒していくかを描いていている点が大きく異なるだろう。この点では「裏・戦国自衛隊」と言えるのではないだろうか。
軍人の行動や兵器の扱い、そして戦闘や死傷者の描写は非常に克明で、映像化は難しいなと思わせるが、これを細かく書き込むことで、主人公の置かれた状況が非常にリアルになっている。
こんな「五分後」、やです。 2009-08-06
小田桐はいつのまにか、自分がもといた世界とはまるで違う「五分後の世界」にワープしてし まったことを知る。何も知らぬままその世界に放り込まれた彼は、その苛酷で劣悪な状況を、 わずかな情報と体力だけを頼りにサヴァイブしていく…
この作品はあるパラレルワールドを描いている。もしあのときああしていなければ、現在の状況 はまるで別の様相を呈していたかもしれない。そういう想像遊びというのは、僕も子どもの頃から 好きではあるが、本書のテーマとなっているのは「日本」である。日本が「あのとき」、ああしていな ければ、どうなっていたか。村上龍はそれを想像する。
ただ小説の中盤、その「あのとき」という分岐点から「五分後の世界」の歩んだ道程が、「国民 学校小学部六年教科書」という形でいっきに読者に提示されるのだが、著者のあとがきでの 語調とは裏腹に、その箇所によってこの作品の小説としての「限界」が露呈したような気がし た。あれは小説ではなくて、単なるシミュレーションだ。
それはさておき、きわめてメッセージ性の強い内容と時期(日本が「金しか出さない」と批判 を浴びた湾岸戦争期)に出版された本作を通して、村上龍はどちらの世界を支持するのか、 僕は結局よく分からなかった。
あの日、日本が降伏していなければ、ひょっとしたらこういう世界になっていたのかもしれない。
では、書いた当の彼自身は「こうならなくてよかったね」なのか「こうだったらよかったのに…」 なのか。そこんところが、よくわからない。
確かに、作中で小田桐は自分がもといた世界、つまり実在する戦後日本を吐き捨てるように批 判し、また反米や、日本の技術主義賛美に読める箇所もある。文芸評論家の斎藤美奈子も村上 がこの作品でアメリカの属国としての日本の屈辱を表現しようとしているみたいなことを書い ていた(『文壇アイドル論 』参照)。
しかし、そうなのだとしても、これを読んだ僕には、地中深くに巣ごもり、国連軍と終わりの 見えない殺戮を繰り広げる「五分後の世界」の側の日本にこそ、すこしも魅力的には感じなか ったのだが。。
と、こんなこと書いたのが蝉の音のうるさい夏の日の某日というのには、別に意味はない。
たまたまです。
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Ryu's Bar
プロフィール
HN:
ドヤ顔の人
性別:
男性
趣味:
読書(ビジネス書・小説)・ネットサーフィン・スノボー
自己紹介:
学生の頃から村上龍のファンで「コインロッカーベイビーズ」に衝撃を受け、「五分後の世界」「愛と幻想のファシズム」「半島を出よ」などの構築系の作品が大好きです。最近の龍さんの興味は経済にシフトしていますがものすごく勉強になってます。
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